エクリプスは悪い奴じゃない、と言う事を教えるのがテーマだったのか?
それとも、喧嘩は良くない、と言う事を教えるのがテーマだったのか?
それとも、他人の喧嘩の首を突っ込むと、痛い目に遭う、と言う事を教えるのがテーマだったのか?
僕はラストシーンから、ブライトの劣等感を出させる為に、今回の話を作ったのではないかと思った。
自ら、かざぐるまの国の内紛に首を突っ込んだのは良いが、何も出来ずにおろおろするだけだった自分に腹を立てていたブライト。
だが、僕にはブライトの悔しさが何一つ伝わらなかった。
ブライトは何故、隣国の内紛に首を突っ込んだのか?
動機が描かれていないから、今回のブライトは、ティオと同じレベルの人になってしまっている。
(ティオはあれで良い。ティオはお笑い担当なのだから。)
だから、ラストシーンでブライトが悔しがってもこちらには何も伝わらない。
今回の話がもし、ブライトの劣等感をテーマにしているのであったなら、ブライトの目線で話を進めていくべきだった。
最初で、ふたご姫がかざぐるまの国に行き、祭りが行われない事を知るシーンの後、宝石の国に場面転換させる。
そこで、ブライトがかざぐるまの国で起きている内紛の調停役として買って出る。
(この時に、動機を描く。動機は13話のエクリプスとのやり取りのシーンや、18話の飛行船レースで野次られた時のシーンの回想でも入れておけば十分だろう。)
後はファインとレインの面白いシーンや、エクリプス乱入のシーンを織り交ぜながら、ブライトの無力さを見せるシーンを入れる。
そして最後のシーンを持ってくれば、ブライトが思っている、情けなさや悔しさが伝えられるのではないだろうか?
最後に。
風のボンボン祭りは、鳥人族が居なくても出来る祭りにしか見えない。
祭りに鳥人族が居なければならない理由はどこにも見当たらないのだが?
今回の見所

ティオ