BIGLOBEストリームの世界名作劇場 レ・ミゼラブル 少女コゼットにて視聴。
○良かった点
・コゼットを含めた、幼女のキャラクターデザイン
○悪かった点
・コゼットとファンティーヌ親子の置かれた状況を口説明で済ませた所。
→夫が死に、職を求めてパリを出るまでの経緯を何故エピソードで描写しないのか?
最低でもAパート、できれば1話使ってそれまでの生活を描くべきだった。
そうしなければ、母子がどんな苦しい状況に置かれているのかが分からないからだ。
・ファンティーヌが住み込みの仕事を探す理由が分からない所。
→何故、実家や親戚を頼らないのだろう?もし、頼れないとしたらその理由は何だろうか?
例えば、親や親戚の猛反対を押し切って亡くなった夫と駆け落ちしたのなら、まず親戚に頼ろうとは思わないだろう。というより、頼れないだろう。(即、生死に関わるような状況だったら、娘のために頼るのかもしれないが)
・世情が分からない所。
→大不況なら大不況だと分かるようにエピソードや背景を描写するべきだ。
アニメ「ベルサイュのばら」では、庶民がどんなに悲惨な状況に置かれているのか、エピソードや背景画で描写していた。
ところが、この作品では、八百屋も服飾店もパン屋も、モノが溢れていてとてもじゃないが、不況そうには見えない。
ましてや、村の人々の衣服はとても小奇麗で、貧しそうには見えず、人を雇えないとは思えない。
・ファンティーヌがコゼットを宿屋にいとも簡単に預けた所。
→ファンティーヌはコゼットが可愛くないのだろうか?いや、もしかしたらそれまでの母子描写は上っ面で、本音ではコゼットを厄介払いしたかったのかもしれない。(2人の関係を殆ど描いていないから、こういううがった見方も出来てしまうのだ。こういう見方をされないためにも、脚本家は旅に出る前の2人の関係をきちんと描くべきだったのだ)
自分の愛娘を知ったばかりの人にどうして預けられるのだろう?
預けるなら預けるだけの状況にファンティーヌを追い込まなければいけない。
例えば、住み込みの仕事を探す旅を何ヶ月も続けて、ファンティーヌ自身はもとより、コゼットも飢えてやせ細り、今にも死にそうな状態だったら、娘を救うために知ったばかりの人に預けるのではないだろうか?
少なくとも、ファンティーヌもコゼットもそこまで追い込まれていない。(2人とも健康そうだし、まだまだ旅は続けられると思う)
苦しいかもしれないが、仕事があるかもしれない街に行くのではないだろうか?
一刻も早く、コゼットを不幸な目に遭わせたいが為に展開を急ぐ事は、こういう作品ならば絶対にやってはいけない事だと思う。