2007/06/10

ゲゲゲの鬼太郎 第11話

○良かった点
・タロウズの声の演技
 →声優が初めて(だよね?)とは思えないくらい上手かった。と思ったが、調べてみたらタロウズの山田役の前田登は、おねがいマイメロディのバクの声を演じていて、新井義幸は俳優を目指していたという。このコンビを選んだアニメスタッフのセンスに脱帽だ。

○悪かった点
・タロウズ、ジロウズのネタが全く面白くなかった所。
 →現実のお笑いでも面白いと評判のネタが、人によってはどこが面白いのか全く分からない事がある。
  作中でいくらネタがおもしろいおもしろいとお笑い芸人を持ち上げても全く説得力が無い。(白山坊の力でタロウズをウケさせたのは良いけど)
  視聴者が面白いと思えるネタでなければ、作中で絶賛させてはいけないと思う。
  ここで首藤剛志氏のコラム「シナリオえーだば創作術」の第53回の一文を引用したい。

  >ただ、タブーとして、モモが作曲家や画家や詩人などの芸術家になる話は、止めていただいた。
  >なぜなら、視聴者が納得できる名曲や名画を、モモが作れる自信がないのだ。
  >視聴者の誰もが名曲名画と思える作品を、作者である我々が作れるはずがないからだ。
  >視聴者がモモが作る名曲や名画を素晴らしいと感じてくれなければ、そこで視聴者は白けてしまう。
  >これは、別に『魔法のプリンセス ミンキーモモ』に限った事ではない。
  >アニメだけでなく映画全般に言える事である。
  >芸術家を描く時には、実在の芸術家を描くのはその人の実際の作品があるからいいが、架空の芸術家を登場させるのは止めておいたほうがいい。
  >その人物の作る作品が視聴者を納得させる作品でなければ、たちまちその場で観客は白けてしまう。
  >視聴者の共感を得られなければ、いくら作り手の僕たちが、名画だ、名曲だと言っても説得力がない。
  >視覚と聴覚に訴えかけるアニメや映画に、架空に存在する名画、名曲は、表現不可能である。

  芸術作品とお笑い芸人のネタを同一視する事に異論はあるだろうが、僕が言いたい事はこの引用文にまとめられている。(強調部分は僕が入れた)

パズドラクロス 第87話「光の潰える時」

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